私が高校を中退した理由その1
このブログのタイトルでも大々的に謳っていますが、私は中卒(高校中退)です。
それは自分で選択したことなのですが、ずっと、私の中で小さなしこりのように残っていて、消化しきれていなかった部分が大きかったのですが、20年近くたって、ようやく自分の納得のいく結論が出せそうな気がしたので、書いてみることにしました。
1990年代、周りの同級生が迷いもなく高校・大学を目指す中、中学生の私は勉強もせず、学校にも行ったり行かなかったり、鬱々とした日々を送っていました。決して不良なわけではなく、友達もたいしていなかったので、誰かとつるむわけでもなく、1人で本を読んだり深夜まで映画を見たり、わりと暗いタイプの人間だったような気がします。
それというのも、幼少の頃に両親が離婚し、私と姉を育ててきた父がうつ病になり休職。思春期真っ只中の私にとって、父親がいつも家にいるという生活は耐え難いものがありました。3つ年上の姉はものの見事にぐれてしまい、10代でできちゃった結婚をしたため、私が悪くなるわけにはいかない、という思いもあり、ひたすらふさぎ込んでいました。
当時の私の趣味といえば女子プロレスを観戦することでした。プロレス好きの父に影響され、女子プロレス界が団体対抗戦の大ブームを迎え、暗いタイプなのに妙にアグレッシブな面もある私は中学生ながらお小遣いをはたいて1人でいろんな会場に通っていました。そんな中、プロレスラーになりたい、と思うようになりました。もちろん、強くてカッコイイプロレスラーはキラキラして見えて、その存在自体に憧れたということもありましたが、
とにかく家を出たかった。
1人で生きて行きたかった。
というのが本音でした。
中3の進路相談では親と先生にプロレスラーになると宣言し、15歳の冬に入門テストを受けました。ところが特別スポーツをやっていたわけでもなく、容姿や体格がいいわけでもない私はあっさりと落選。親とは入門テストに落ちたら高校に行くという約束をしていたので、とりあえず当時珍しかった3部制の定時制高校の午前部に進学。と同時に、「来年は絶対に受かってやる」と空手道場の門を叩いたのでした。
プロレスラーになるための踏み台だと思って始めた空手に思いの外ハマってしまい、毎日学校が終わると道場に足を運び、稽古の毎日。師範にもかわいがられ、アルバイト先も紹介してもらい、道場での生活が私のすべてとなりました。
父は今風に言うとネグレクト(育児放棄)だったのだと思います。私と姉の世話をすることができず、父子家庭ながら学童保育にも入れず、毎日夜中まで姉と2人だけで過ごし、学校でも周りにあまり馴染めないという幼少時代を生きてきた私にとって、空手道場は初めて見つけた居場所でした。
長いのでまた後日続きを書きたいと思います。